駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

バレンシアの熱い夜

 『バレンシアの熱い花』後日談の二次創作BL、ラモロドです。
 『バレンシアの熱い夜』というよりは『バレンシアの青い小さな花』みたいになってしまいました。
 初演以降の上演のどの中の人とも特に無縁で、あくまで脚本のキャラクターに準拠する個人的な妄想だとお含み置きいただければ幸いです…






   *   *   *





城から戻ると、街はまだ騒然としていた。
義勇軍があちこちで通りを封鎖していたり、公爵の私兵と小競り合いを続けているようだった。
俺はまっすぐねぐらに帰って、夜まで夢も見ずに眠った。
「槍が降ろうが店は開けるよ」
と言ってバルバラが叩き起こしに来たので、いつもどおりエル・パティオに行って、歌った。
客はみんなクーデターの話に夢中で、誰も舞台なんか観ちゃいなかった。こっちも集中できていなかったので助かった。
イサベラはいつもどおりに踊っていた。話をする時間は、なかった。
店を閉めたあとにバルバラから、イサベラがフェルナンドの旦那と別れてきたらしいこと、バレンシアを出るつもりらしいことを聞かされた。
あいつらしい。
旦那はあの可愛らしいお嬢さんと結婚して、新しい領主になるんだろう。そんな街では暮らせまい。
バルバラは知り合いの店を紹介すると言っていた。流れ流れて生きていくのが俺たちの暮らしだ。
俺もついていきたいが、俺がそばにいたんではイサベラは旦那のことを思い出すばかりだろう。
それに俺はローラの墓守をしてやらなきゃならない。ここはひとりで行かせてやる方がいいのだろう。
生きている限り、きっとまた会える。

公爵は義勇軍の兵隊に成敗されたことになっていた。
前の領主を殺させた黒幕だったってことも公けにされたから、どのみちフェルナンドの旦那やロドリーゴの旦那がお咎めを食らうことはなかったろうが、まずはよかった。
ただ、あの騒ぎの中で、公爵夫人も亡くなったそうだ。流れ弾にでも当たったんだろうか、かわいそうに。
俺はあの夜、地下道から出たときにちらっとお見かけしただけだ。ロドリーゴの旦那のマントにくるまれて、ほとんど姿が見えなくなるくらい、ほっそりした、綺麗な人だった気がする。
以前はロドリーゴの旦那と恋仲だったと聞いた。旦那は大丈夫なんだろうか。どうしているだろう。

公爵夫人、シルヴィアさんが埋葬されるというので、遠目に覗きに行った。カトリックの墓地に入るのは憚られた。
シルヴィアさんは公爵家ではなく、実家の墓地に葬られるみたいだった。マルコスの若旦那が、痩せた中年の男を支えながら、ボロボロ泣いていた。あれが親父さんだろうか。
フェルナンドの旦那と婚約者のお嬢さんが、参列者の応対をしているようだった。
ロドリーゴの旦那は、みんなの輪の端にいた。真っ黒な服を着て、まっすぐ前を見てまっすぐ立っていた。肩を落とすでもなく、泣いてもいないようだった。青白い、能面みたいな顔でただ宙を見ていた。
大丈夫なんだろうか。

「遊びに来てくれ」
とロドリーゴの旦那は言ったけど、のこのこ出かけても本当にいいもんなんだろうか。
その後、フェルナンドの旦那がバレンシアの立て直しに奔走しているらしいことは、風の噂に聞こえてきていた。でもロドリーゴの旦那の話は聞かない。旦那方はあれきりエル・パティオには来ないままだ。
ロドリーゴの旦那は、あんなばかでかい城にひとりで暮らしているんだろうか。家族はもういない、と聞いた気がするんだが。
門の前でうろうろぐるぐるしてしまう。いつかのイサベラみたいだ。
思いきって入っていったら、フェルナンドの旦那のうちにいたみたいな執事がここにもいた。いけすかないヤツで、門前払いされそうになった。食い下がったら、「旦那さまはご来客の応対中でございます」ときた。
旦那が在宅なんだったらそのお客と一緒でかまわないよ、と入らせてもらった。城の中の様子をあまり覚えていなかったが、奥から話し声がするんで行ってみた。
「なーにやってんだよ!?」
って思わず大声出しちまった。客ってのはレアンドロだったのだ。肘掛け椅子に丸まったロドリーゴの旦那に、レアンドロが覆い被さっているように見えた。
「やあラモン、久しいな」
って、旦那はのんきに笑っていた。ちょっと痩せて見えたけど、元気そうだ。よかった。
「では私は失礼するよ」
とかなんとか言って、レアンドロが早々に立ち去ったので、俺は一安心した。
レアンドロの噂を、ロドリーゴの旦那は知らないんだろうか。…知らないんだろうな。
俺が軍隊に少しばかりいたときも、あいつは悪評紛々だった。ちょっとご面相のいい若い兵隊には片端から声をかけて、士官だってことにものを言わせて口説いてるって話だった。
今のも絶対怪しかったと思う。慰める振りして押し倒すつもりだったんじゃないだろうか。ロドリーゴの旦那はちょっと坊ちゃん坊ちゃんしてるというか、世間ずれしてないとこがあるから、流されちゃいそうで危ないよ。
俺がぎゃあぎゃあ忠告しても、旦那は「彼はいい友達だよ」とか言って微笑むばかりだった。俺はなんだか気が抜けて、とりあえず持参した花を渡した。墓地には行きづらかったんで、ここでシルヴィアさんに供えてほしかった。
「ありがとう。近く私も、おまえの妹に花を手向けに行こう」
と旦那は言ってくれた。
花を生けに来た執事に睨まれた気がしたが、無視して居座った。ぬるい茶を出されたが飲み干してやった。
「フェルナンドの旦那のお仕事を手伝うんですかい?」
「そうだね…マルコスががんばってくれているようだけれどね」
物憂げに笑う旦那は、やっぱりちょっと本調子じゃない感じがした。エラそうにキリキリしているくらいでちょうどいいのに。
ガウンの襟元から覗く細い銀の十字架は、あの夜シルヴィアさんがしていたものじゃないだろうか。形見に譲り受けたんだろうか、それとももともと旦那が贈ったものだったんだろうか。
十字架を手繰る指が細い。ちゃんと食べてるのか?
「あのとき…おまえは妹の仇を討ち、フェルナンドは父君の仇を取った」
旦那は呻くように言った。
「私だけが、私怨で叔父を殺したのだ…だから報いを受けたのだ…」
旦那は、シルヴィアさんの死を自分のせいだと思っているのだ。
そういうことじゃないんじゃないかと思うんだけど、俺はうまく言葉にできなかった。
がっくりうつむいた旦那の肩が本当に薄くて、こっちの胸が潰れそうだった。
それで…それで、つい…つい、その肩に手をかけて、抱き寄せてしまった。あおのかせると、涙が宝石みたいに光っていた。
それで…それで、つい…
…俺はなんてことをしちまったんだ!

  *  *  *

「まあ伯爵、いらっしゃいませ!」
バルバラの素っ頓狂な歓声に振り向くと、ロドリーゴの旦那が店に入ってくるところだった。
「ご無沙汰しましたね、マダム。みなさんも一杯どうぞ」
とかなんとか言ってにこやかに笑うもんだから、マヌエラ筆頭に女たちがみんな旦那のテーブルに群がった。おいおい、この間来たときと全然態度が違うじゃねーかよ。
旦那の顔色からは変な青白さはなくなっていたように見えた。それはよかった。でも俺は合わせる顔がなくて、こそこそしていた。でもどうしても、あの冷たかった唇の感触を思い出してしまう。
店は込んでいて、舞台もバタバタしていた。気がついたら旦那の姿はなかったが、バルバラに「話があるって、小部屋でお待ちだよ」と言われた。
「またきな臭い話じゃないんだろうね?」
と睨まれて、そんなんじゃないよと取りつくろったが、じゃあなんの話だと言われても困る。怒ってるんだろうか、殴られるのかな…
おたおた小部屋に行くと、旦那は例の気障な座り方をして、涼しい顔で酒を飲んでいた。この店の安酒が高級そうに見えるんだからたいしたもんだ。
俺が向かいの椅子に座っても、こちらを見ないままだ。俺はだんだん耐えられなくなって、立ち上がってテーブルに手をついて平謝りしてしまった。
「この間は! …とんだ失礼を…! ちょっと、気の迷いというか…なんというか…なかったことにしてください、全部忘れてください!」
そのまま頭を下げ続けてたら、旦那は何も言わずに立ち上がって、出ていった。目も合わなかった。
許してもらえなかったんだろうか。どうすればよかったんだろうか。

それきり、旦那は店に現れなかった。
旦那がフェルナンドの旦那の仕事を手伝うようになった、と聞いた。
どこだかの家のお嬢さんとの縁談がまとまりそうだ、とも。
政治とか、爵位とか、いろいろあって貴族ってのも大変だ。でも旦那があのばかでかい城にひとりで住むんじゃなくなるなら、いい。あの執事とか、使用人はたくさんいるだろうけど、そうじゃなくて、家族が増えるなら、いい。
旦那が幸せなら、いいんだ。

ローラの墓参りに行ったら、ものすごく大きな白百合の花束が供えられていた。
あわてて墓地を走り出て通りを見回したら、紋章のついたでっかい馬車に乗り込もうとしているロドリーゴの旦那が見えた。走り寄って、引きずり下ろすようにして捕まえた。
「…どちらさまですか」
「…なんの冗談ですか」
まさか、全部忘れてくれと言ったのを根に持っているんだろうか。ときどき子供みたいだよな、この人。
「花、ありがとうございました。よく場所がわかりましたね」
「…遅くなって申し訳なかった」
「あいつは旦那方みたいな貴族の若様に憧れていました。喜んでいると思います」
俺が頭を下げると、旦那はあきらめたのか馬車を城に帰して、呑みにつきあってくれた。
あいにくエル・パティオが休みだったので、近場の店に入った。しかし掃き溜めに鶴感がすごいな。
俺はどきまぎしてしまって、子供のときの話とか、とりとめのないことしか話せなかった。旦那はあまり食べずに、ただ俺の話に笑って酒を呑んでいた。
それはいいんだが…意外と弱いんだな? あっという間に目が据わったぞ? というか潰れたぞ?
どうしよう…うちには最近フラスキータが入り浸っているので、連れて帰るのはまずい気がする。といって城まで運ぶ自信もない。意外に重いんだ、これが。
仕方がないので、負ぶってエル・パティオまで連れて行った。小部屋の長椅子に横たえて一息つく。
上着だけ脱がせて肩にかけてやると、ひっくるまって丸まり、すぐに静かな寝息を立て始めた。
罪もない顔で寝入っているのを見つめていたら、こっちも眠くなってしまった…

小さなくしゃみで起こされた。まだ夜明け前だろう、闇が一番濃い頃だ。
水差しの水を一口呑んで、旦那にも渡す。旦那は喉を鳴らして飲むと、また丸まった。
「寒いな」
火を焚くほどじゃないかと思ったんだが…毛布かなんか、あったかな。
「寒いよ」
わがままだな。あとはもう人肌しかないぞ。襲うぞ。
「…誘うなよ」
「何故?」
真っ青な瞳が見返してくる。なんできらきらして見えるんだろう。
「…旦那、男と経験ないだろ?」
「もちろんないよ。でもおまえはひどくしたりしないだろう?」
どうだろう。全然自信がない。遊び半分みたいなもんだったし…ずっとイサベラに一途だったんだし。最近はフラスキータに押し切られてるけど。
「あと、その旦那ってのはやめてくれ」
と言われて、何かが飛んだ。耳元で名前を呼んでやる。あとは覚えていない。


遠い鐘の音に目覚めると、朝だった。
旦那はすっかり身支度を整えて、椅子に座って小窓から空を見ていた。綺麗な横顔だ。服に皺ひとつないのは何故なんだ、高級品は違うのか。まさか何もかも夢だったのか。
「腹減ったな…」
俺の言葉に、旦那は声を上げて笑った。男相手になんだが、花が咲いたような笑顔だった。
明けない夜はない。朝になれば、夜の間に見た夢は日の光に溶けて、うたかたのように消えてなくなってしまう。
でも日は昇ればまた沈む。また夜は来るのだ、必ず。





<了>